第10回 心が動き続ける

 元気いっぱいのトモエの夏が終わり、空高く澄み渡る秋がやってきました。今年の夏は、ウォータースライダーやレクリエーションや海、野外での歌やダンスなど、たくさんの夏らしい行事を楽しむことができました。でも、ここに至るまでは長い道のりがありました。感染拡大防止が叫ばれた早い時期から、スタッフたちが頭を寄せ合い考えあぐね、密を避けるためのたくさんの工夫を重ねてきました。広い空間をフルに活用し、なるべく外での楽しい活動を充実させるよう努めてきました。その結果、この時世においてもトモエでは、人と人が交じり合う生活を続けることができたようにも思えます。また、「四季を通して自然に親しむ生活」はさらに深まったかもしれません。

 

 そして、時代を越えてもなお変わらないのは、トモエの子どもたちの元気の良さです。むしろ増したようにも(笑)。外での楽しい活動が増えたり、遊びの空間が広がることで、子どもたちの気持ちもおおらかになったりするのでしょうか。そんなふうに、縦横無尽に元気に動き回る子どもたちの毎日を支えるのは、お母さん・お父さんたちです。みんなでみんなを見合うトモエの生活は、時代に翻弄されることなく紡がれていくのだと思います。

 

 子どもたちは変わらないな、と思えることが、今あらためてうれしく感じます。この二年半で私たち大人は、たくさんのことを突き付けられました。時に制御されたり反論したり、人と人の対立も生みながらも、同時にもっと深い部分での気づきや、価値観を根本から見直す機会となったり。いろいろあるけれど、全ては学びであるなあと今思えます。

 

 こんなふうに、いつのまにか抱いてしまっている固定観念に風穴を開け、変化を受け入れたり抗うことが、私たち大人にとってはある意味、「挑戦」のようにも感じられます。でも子どもたちは違うのです。常に刻々と変化し続けているから、いろんな表現をし、表情を変え、いろんなことを言います。それでも、ただ好き勝手なことを言っているだけではないと思えるのです。(そういう時もあると思いますが)なぜなら、こちら側(大人)の心の在り様や動きをちゃんと汲み取っていて、それに相当した対応をしてくれていることを感じる時が多いからです。

 

 ある昼下がり、ポカポカの陽気の中、私は赤ちゃん(園児の弟)を抱っこして玄関前に立っていました。そこへ、園バスに乗るため男の子が通っていきました。たまたま私はよろけて、赤ちゃんを守るためしゃがんだ姿勢となってしまい、その男の子にぶつかってしまいました。「痛い!」膝を強打した男の子は怒って泣き出し、あっち行って!と。やむを得ずとは言え、私も申し訳なさと、強く言われて悲しくなってしまいました。でも「ごめんねホントごめん」と懸命に謝りました。その時はそれで終わりましたが、少し後で、園バスに乗った男の子の姿をのぞくと、少しはにかんだように視線を送ってくれました。

 

 そして翌日、同じように園バス降園時間の出来事です。園バス発車直後、(ふだんはあまり話す機会がないのに)その男の子から「今日ね~バスのるんだ!」私「え?もう行っちゃったよ!」男の子「うっそ~車で帰るの!」とおどけて行ってしまいました。きっと、昨日の私の様子を気遣い、わざわざ話しかけてくれたんだなあと思いました。子どもたちは本当によく感じ、自然に考え決断し行動しているのだと思いました。

 

 常に変化し表現し続けているという意味においては、子どもたちにはとうてい叶いません。しかしそこで忘れてならないのが、そこに「素直に表現できる相手がいること」だと思います。

 

 こんなことがありました。朝、いつものようにいつもの場所で、遊ぼう~と誘ってくれる女の子。いつものように指人形遊びをしていると、いつになく声のトーンが上がってきて、だんだんイヤイヤが増し、遊びの内容も盛り上がりを越えてヒートしてしまい、最後には床にひっくり返って大声で怒り泣き叫んでしまいました。私も、女の子の初めてのそんな様子に驚いてしまい、何もできずにいました。そこへ通りかかった他のスタッフが上手に切り替えさせてくれたのですが、私は自分の不甲斐なさを感じ、自己嫌悪に陥ってしまいました。しかし、その日の午後のことです。お誕生会があり、その女の子は誕生者で、真剣な顔つきでしっかり出演していました。そうか、あの時は誕生会を控えていてきっと緊張していたんだな、と、そこでやっと理解できました。

 

 くるくると表情を変え、表現した女の子。一部分だけを見て判断をしないことが大切だと気づかせてもらいました。そして、自分の力不足と落ち込んだことに対しては、全く見当違いだったなと思い直しました。だって女の子はきっと、素直に表現できる相手だと直感で感じ取って、その時の生の感情を表現してくれたのだと思えたからです。そう思うと何だかうれしくなりました。

 

 お母さんにだだをこねる子ども、あたってくる子どもをよく見かけますが、それはやはり、安心して素直に表現できるからなんですよね。それにきっと、それだけでは終わっていないはずで、その後もまた、素直な表現が続いているのでは。それが気遣うやさしさであったり、笑わせようとするおちゃらけであったり、その他にもわかりずらいリアクションかもしれないけれど(笑)。子どもは常に変化し続けている存在であるということを心に留めていられる大人でありたいです。そしてやっぱり、ずっと受け止め続ける「母」という存在は偉大です。毎日本当にお疲れ様です!