第6回 「女の子 男の子」

 前回の投稿の中で、「ユウカのハート」について触れました。今回はそこで書ききれなかったことを書いてみたいと思います。当の本人のユウカさんも言っていたことなのですが、こんなに小さい頃から「男気(おとこぎ)」に満ちているなんてすごい、と。私も、男として大切な女性を守りたいという本能的な気持ちが、5~6歳の男の子の中にすでに宿っているという事実に、正直驚きました。しかしながらこれは、人として本来的で高尚なあるべき姿であって、驚いている私たち大人の側の方が、考えが浅いのだと思い知らされたような気もしています。もしかしたら私を含め、現代人に最も欠けているかもしれない要素を、トモエの男の子たちはすでに持っているのかも…。そして、それを子どもたちに素直に表現させてあげられる「トモエ」という場所。人生でごく初めの時期に、こんな場所が用意されているか否かということが、その子どものその後の人生において少なからず影響を与えていくのでは、と思います。

 

 女の子に関しても、トモエではその「女性性」を大切にしていると言えます。前回の「ユウカのハート」考案者であるスタッフのヤマトさんはこう言います。トモエではずっと昔から、ユウカの…に限らず、「女の子のハートを盗むどろぼう」の悪役を、あえてスタッフ(男性)が成りきって、子どもたちから追いかけ回される構図がベースに存在している、と。この遊びはとっても盛り上がるらしいのですが、よく見るとその場面設定にちゃんと「女の子のハートを大切にする」というメッセージが地味に(笑)込められています。ちょっとニクイ!ですよね。

 

 あと、トモエではドレスを着て日常を過ごす子どももめずらしくないです。その姿を、姫~と盛り上げる男性スタッフも常在。もちろんドレスの子は逃げ回って、これまた盛り上がる遊びです。対して、男の子が盛り上がるのは、やっぱり「たたかいごっこ」。武器は持たず素手で体ごとしなやかに立ち振る舞うダイナミックな動きは、男性スタッフが多いトモエならでは。

 

こんなふうに、子どもが本当に小さいうちから、女の子は女性としての存在を、男の子は男性としての存在を、生まれたまま・あるがままの自分を、自ら受け入れられるように遊びを通して日常の中で、大人が子どもに伝えているとも言えます。

 

 でもこれは、決して押しつけではないので、その大人としてのメッセージをどう受け取って、どう自分の人生の舞台で表現するのかもまた、その子ども次第。あるがままでいいんだよ、というメッセージを受け取った子どもたちの自己表現を真摯に受けとめるのも大人の役割です。だからトモエでは、ドレスは女の子でも男の子でも、誰が着たってオッケー。その自己表現はその子だけの大切な時間だから。

 

 幼児期から、子どもの女性性、男性性を邪魔しないトモエだから、女の子は思いっきり可愛くしたりキュンキュンしたり(笑)、男の子は思うがままにイキがったり(笑)女の子を守ったり優しくしたりフラれたり(笑)。だから、感覚が近しい同性同士でとても仲良くなるケースが多いです。これって必然的なことですよね。みんな仲良く…もステキだけれど、これとはちょっと次元が違うお話。でももちろん性別を越えての仲良しさんもたくさんいます。あるがままの自分をさらけ出して人とつながれる子どもたちだから、つまるところ、自分の気持ちが一番大事!ということです。

 

 女であること、男であること、ひとりの人間であること、という人として最も根本的なことを、日々の生活の中で、直接的ではなく微弱にわかりずらく(押しつけにならないこと、自分で考えることが大切なので)子どもたちに伝えている場所が「トモエ」なのだと思います。