第15回 「まるっといこう!」

 コロナが5類に移行して数か月が経ちました。季節も移ろい、人々の生活には、平穏であたりまえの日常や四季折々の行事も戻ってきましたね。一方で、これまでの消毒生活の副産物とも言うべきか、本来的には自然免疫での克服が期待できそうな感染症も流行り出しているようです。季節の変わり目と相まって、体調を崩すことも少なくないこの時期。トモエのお母さんたちも、日々の子育てに加えて、風邪とのにらめっことなりがちで、本当に毎日お疲れ様だなあ、と頭が下がります。

 

 季節と言えば、この夏の猛暑。今後の北海道での生息が危ぶまれる(笑)と感じられたほどでしたね。でもその後にやってきたのは、急激な寒さでした。まるで春のリラ冷えのように、暑かった頃をなつかしいとさえ思えるような寒暖の差。トモエでも、数日前は水着でプールに入っていたのに、今日はフリースを着こんでいる、という光景を目にしました。

 

 感染症も季節も、自然界は全く正直でありのままで、裏返せば、容赦ないなあ、と実感しています。でも、そういった「大いなるもの」に翻弄(ほんろう)されながらも、前に進むしかないのが「生きていく」ということだと思えてくるのです。風邪をひいたら治すしかないし、寒かったら着こむしかない。「暑いのやめて下さい(笑)」と主張しても仕方がないので、自分の力ではどうにもならないから抗わずに、やり過ごすしかない。全体像として、コミコミでまるっと受けとめるしかない。そこには、良いも悪いもなく、ただただ経験として累積していくだけのことで。でもそれはやがて、「そんなこともあったなあ」と、いつのまにか自然に、人生の糧となっている。

 

 人間関係においても、同じようなことが言えるかと思います。自分の周りにはいつも、たくさんの「自分の力では変えられない大いなるもの(自分以外の他者)」がいます。「人間関係=生きていくこと」であるならば、人と人との意見の食い違いや軋轢(あつれき)も、経験として、糧として、全体的にまるっと捉えていく、そんなふうにも考えられるような気もします。

 

自分の主張を表現することは、とても大切で必要なことです。しかしながら、「問題の解決ありき」で、起きた出来事の内容に囚われすぎて、局所的に深追いし、どちらかに軍配を上げることは、不自然なのかもしれません。なぜなら、人の考え方・捉え方は十人十色なので、幾通りも在るそれらをすり合わせて、正確にジャッジするなんて、至難のわざなのでしょうから。その不透明な「オチ」のためにエネルギーを使い果たすよりも、起きた出来事や、それによっていっとき雲間がかかってしまった人間関係にモヤモヤしながらも、経験として・糧として次に行く、それが生きていくということなのかな、と思ったりもしています。

 

トモエの森は、青々とした成熟を終え、やがて訪れるカラフルな紅葉に向けて、今日も淡々と在り続けています。 ありのままを受けとめ進んでいく自然の姿は、大切なことを教えてくれるようです。そして色とりどりの秋。個々が主張をしながらも、まるっと調和がとれた美しい景色を、今から心待ちにしているこの頃です。