第2回「きょうだいたちの入園」

トモエは家族で通う幼稚園。毎日、お母さん、お父さん、園児のきょうだいたち、時にはおじいちゃんやおばあちゃんも参加しています。中でも園児のきょうだい、いわゆる「下の子」たちがお母さんに連れられてトモエに通い、すくすくと成長していく姿を見れることに、スタッフとして本当に幸せを感じています。きょうだいたちの年齢はさまざまで、中には生後一か月の赤ちゃんも!…というより、ふたりめ、さんにんめがお腹にいる妊婦さんのお母さんが出産して一か月経つと、またトモエに復帰したり…というケースは日常的です。そうやって赤ちゃんの時から、もしくはお母さんのお腹の中に居る時からトモエに通う「きょうだいたち」。

やがて、園児であるお兄ちゃんお姉ちゃんは卒園し、すでに長年?通ったトモエ歴の長い下の子が、満を持して(笑)入園してくる光景も少なからず見られます。今回は、そんな「きょうだいたち」が入園した時の素敵なエピソードをお届けします。

B君はお兄ちゃんに付いて、赤ちゃんの時から毎日トモエに通っていました。二階の園長の横にあるベビーベッドで寝ていた頃がなつかしいくらいです。さて、やがてお兄ちゃんは卒園し、B君は3歳から入園することに。ある日二階で、課題で集まりますよ~の放送をかけていたスタッフの「青組は体育コーナー、緑組はねんどコーナー…」のセリフをさえぎるように、B君が「○○(自分の名前)、にゅうえんしたんだよ。」と。そこに居た大人たちみんなが、B君の誇らしい口調とあふれ出るほどの存在感にハッと惹きつけられ、次の瞬間、とろけるような笑顔になったほどでした。それは、赤ちゃんの頃から多くの大人たちに見守られたことの表れで、大人たちは成長したB君の言動に、自然と目を細めてしまうのでした。

彼はおそらく「入園」という言葉の意味をそれほど理解して言ったわけではないかもしれないけれど、それよりも「トモエの一員になった」ことの喜びを全身で表現していたのでしょう。つまり、トモエという社会(相対)の中で、ひとりの大切な存在としての自分(絶対)を位置づけることができたことを伝えてくれたのだと感じました。B君は入園したことで、相対と絶対を体感できているように見えました。まだ3歳なのに何ともうらやましい限りです。

同じくC君もお兄ちゃんに付いて、赤ちゃんの時から毎日トモエに通っていました。やっぱり二階の園長の横のベッドで寝ていた組。3歳で入園して少しお兄ちゃんになったC君は、他のお母さんに抱っこされた赤ちゃんの顔をのぞきこみ、自分が寝ていたベッドを指さしてこう言いました。「○○(自分の名前)もね、あのベッドで寝てたんだよ。」その口調は本当におだやかで優しいのです。それでいてとてもしっかりとしていて、まるでひと言で、自信を持って自分を語り尽くせているかのような説得力がありました。

彼もたぶん、自分が寝ていたことを、はっきり覚えているのかどうかはわからないけれど、大切なのは、「寝ていた」ことに誇りを持っているということ。3,4歳の子どもが赤ちゃんの頃の自分に自信を持てるなんて、なんてすばらしいのだろう、と胸が熱くなりました。そして私は、彼の言葉の続きを想像してみるのです。「…あのベッドで寝てたんだよ。だからこれからも大丈夫だよ。」という声が聞こえてくるようです。

必然的に「トモエ歴」の長いきょうだいたちの育ちを見ていると、なるべく早いうちから大人や子ども、いろいろな人が混じり合って生活する場に身を置くことの大切さを感じます。きょうだいたちだけでなく、乳幼児期をトモエで過ごす子どもたち。この時期に見て感じた「トモエ」という原風景が、子どもたちの心の土台になっているのだと、年を増すごとにその思いを強くしています。

 

<Encho’s  comment>(木村園長から)

 

人間の基礎的な観察研究を続けて50数年になりました。

胎児、乳幼児と出会って、乳幼児の能力の高さは、大人の想像を超越した世界があることを年々感じています。生涯、探求を続けても人間の神秘は尽きないでしょう。

大人の思考を越えた神秘に満ちているのを感じさせてくれる乳幼児との日々。

私は、最高に、幸せですよ。

幼子から人間の素晴らしさを感じ、人間の基礎探求は、永遠に続きます。

人間探求は、人間がおもしろくて、不思議な動物で楽しいですよ。

人間は、宇宙より身近に感じています。人は、神秘と不思議に満ちているのですから・・・

乳幼児が本音を表現してくれることで、人間の神秘を発見できるのです。

乳幼児から、自分自身の中に神秘の世界があるのを発見し続けられますよ。

意識して乳幼児と関わってみてくださいね。新しい発見がたくさん見つけられますよ。

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