A君は年中さんの男の子。弟とお母さんといっしょに、毎日元気にトモエに通っています。でもこの頃ずっと、A君は何かあるとすぐに「お母さんのせいだ!」と八つ当たりしてきます。その様子を目の当たりにしていたお母さんは、A君の中にいっぱいためこんでいるものがあるんだなあ、とせつなくなっていました。思い余ったお母さんはある日、A君にこんな提案をしました。
「A君、これからお母さんと、イヤイヤ大会はじめよう!(A君が)いやだと思ってること、ぜ~んぶ言いあいっこしよう!」
お母さんがまず言いました。「〇〇(弟)が生まれた時、いっぱいガマンしていやだったよ~!!」「もっといろんなこと、(お母さんと)いっしょにしたかったんだよ~!」他にも思いつく限りのA君の不満を、A君の気持ちになって、素直になってお母さんは吐き出しました。いつのまにかお母さんは泣き叫んでいました。すると、A君はこんなことを言い出したのでした。
弟が生まれる時に、お母さんは体調がすぐれなかったため、A君は少しの間、保育園に通っていたそうです。その時のことを、あのときはとてもつらかった、あのままだったらじぶんはしんでたかも…。
お母さんは、そこまでつらかったんだなあ、と思って涙がこぼれてきました。すると、A君は続けて言いました。でも、いまは大丈夫だよ、いまはひかりがさしているから…そんなことを言ったそうです。
そんな出来事があって一か月ほど経ちましたが、あれからA君は、以前のように激しくお母さんにあたってくることがなくなったそうです。これは、お母さんがA君の心に寄り添って、A君の本当の気持ちを吐き出させ、受けとめてあげたことで、A君は過去の自分を整理して次に進むことができたのかな、と思います。
さらに思うのは、2歳にも満たず、まだ言葉もおぼつかないであろう頃に、そこまでのことを感じ、そして今5歳の時点で、そんな頃の自分を見つめ、客観的に総合的に捉えて自分の中で整理し、さらに表現できるという、子どものすばらしさに圧巻でした。
そして、吐き出せたことで心が満たされ、「お母さんにあたらなくなった」ということでわかるように、行動までもすぐに変化できるという子どもの「素直さ」は、私たち大人が敬意を払うに値すると思えます。この出来事は、「素直になることの大切さ」を教えてくれたような気がします。
保育園にあずけたこと自体は、その時はそうしなければお母さんの体が大変だったので、やむを得なかったのでしょう。それ自体は必要なことだったから、責められるべきことでは全くないと思います。着眼すべきは、そのことを通して、人生の中でのとても早いこの時期に、抑えていた自分の本当の気持ちを素直にお母さんに吐き出せたことが良かったということです。
お母さんの行動もとても素敵だと思います。ユーモアたっぷりに、同時に必死に、A君の心の深い所にスルっと滑り込めるお母さんの、感性の鋭さと気転の良さと何より「本気」が、それを実現してくれました。
そして、そんなお母さんのバックグラウンドに在るのが、「トモエ」というフィールド。トモエは、大人も子どもも、ありのままを自己表現できる場所。そして、相手の自己表現から何を感じ取って何を学び、自分に還元できるか、それも自分しだいだと。
<Encho’s comment>(木村園長から)
大人は乳幼児を、何も知らない者、何もできない者として侮って見ているフシがある。しかし、子どもの感性は驚くほど豊かなのである。それは大人たちの想像を軽く越えてしまうほどである。
人間は、生まれた時から五感を通して、100%を感じ取って生きている存在。当然ながら、大人には大人の事情と感情があるし、それが自然なことである。でもここで見落としがちなのが、子どもがそれを、ありのまま受け止めて成長しているということだ。子どもが「何もわからない存在ではない」ということを意識して育てることが大切である。