進級のドラマ

 新年度が始まりました。18日間の春休みを終え、すっかり春めいたトモエの森に、元気な子どもたちの声がこだましています。私たち大人にとってはたったの18日間ですが、子どもたちにとってはされど18日間!背が伸びたり、体つきがしまったり、赤ちゃんだと思っていたのに幼児に変身を遂げていたり。その成長の早さとしなやかさは、年齢が低い子ほど急激なように思えました。あらためて乳幼児期の子どものすばらしさを実感しています。そしてその大切な時期に、親子が密に過ごすことの意義をかみしめています。そんなトモエを、35年も前に創った園長は全くもって驚愕の域です!

 

 新学期初日に、進級の会が行われました。子どもたちに新しい学年の色の名札を渡し、さあ今年も楽しむぞ~という気持ちを込めて、最後はみんなでエイエイオー!と声を張りました。1年のスタートにふさわしく、初々しく晴れやかで、子どもたちのまぶしい姿に目を細める私たち大人ですが、つぶさに子どもたちを観察してみると、当の本人たちの心情はさまざまです。大人のおおざっぱな予想をはるかに超えて、進級を、実に真摯に受け止める子どもたち。「進級のドラマ」があちらこちらでかいま見られました。

 

名札ひとつを取っても、うれしそうにはりきって受け取る子、恥ずかしそうに遠慮がちに受け取る子、他のシチュエーションにて受け取り希望の子、子どもはいろいろな反応をしてくれます。中には、丁重にお返しする子もいました。きっと本人の中で「今じゃない(進級が)」と直感で感じたのかもしれません。裏返せば、今はもっと他に、自分の中に大切な何かが息づいているから、そちらを大切にしたいということなのかな、と。自分のことをよくわかっていて、自分を大切にできている証だなあと思いました。生まれて数年間の人なのに、全くもって脱帽の域です!

 

 こんなおもしろいエピソードもあります。お母さんが、我が子の「進級の瞬間」を捉えるべく、「ねえ、いつ〇〇組(新しい学年)になった?」と、インタビューしていました。玄関に入って新しい靴箱(新しい学年の色)を見た時?それとも名札もらった時?…こんな感じです。ワクワクでカメラ片手のお母さんをよそに、子どもが「あ!今なった(進級した)気がする」と言った瞬間は…。何と、おいもを食べていた時だそう!シャッターチャンスは逃しましたが(笑)、ユーモアあふれるすてきな親子のやりとりだなあと思いました。親子がいっしょに生活しているからこそ生まれる宝物の時間。ユーモアの大切さを感じました。

 

 進級をはじめ、入園、入学、卒業、などのさまざまな「決まりごと」は、成長を確認できる節目のひとつです。人が生きていく中で必然的な事柄でもあります。その上で思うのは、人生で必要なのはメリハリだということです。力を入れる所とそうでない所、フォーカスする場面とスルーする場面etc。それを意識するためには、他ならぬ自分の心の声を聴き続けることだと思います。そうやって自然と自分の中でバランスをとれるようになっていくのかな、と。それが「決まりごとありき」となってしまえば、おのずとそのバランスが崩れていってしまうような気がします。

 

トモエの子どもたちは、そのバランスの取り方が絶妙だなあと感心する時があります。用意されたもの(決まりごと)を、まるまる受け入れることはせず、ちょっと横に置いておきつつ受け止め、「自分の感性」という秤(はかり)にかけて表現する…という感じなのかな。なので、子どもたちの表現をむやみに止めることはできません。そこにはいつも、ちゃんと理由(自分の感性)があるからです。時としてそれはまるで、「みんないっしょ(決まりごと)」をまっとうすること自体が目的ではないことを知っているかのようです。

 

大切なのは、「決まりごと」に対する捉え方や考え方がそれぞれ違っていることを、お互い認め合えることだと思います。その先に「みんないっしょ」が付いてくるのなら、子どもたちのように、素敵な世界が広がっていくのでしょうね。

強制ではなく共生、競争ではなく共想、そんな願いを込めて、今年度もスタートしました。