スタッフによる劇

11月11日(日)トモエ幼稚園では、会社勤めの方が参加しやすいようにと、毎月1回は日曜日に行事が開かれています。この日は「お楽しみDay」で、午後からスタッフによる劇が催されました。

劇は「さる地蔵」という山形県の昔話をアレンジしたものです。おじいさんやおばあさん、いろんな動物たちが登場します。途中、客席からお母さんやお父さんたちも呼ばれて飛び入り参加の楽しい劇となりました。

あまり大きな声では言えませんが、実はこの劇、スタッフは1回しか練習していません。大まかな流れを書いた脚本を元に動きとセリフのポイントを確認するだけです。ですから、当日のセリフはほとんどがアドリブとなります。

誰かが言ったセリフを受けて別の誰かが言う、それを受けてまた別の人が何かを言う、という風に話が進んで行きます。時々、会場の雰囲気に合わせてその場で思いついたセリフなんかが飛び出したりもします。だから、結構スリリングだったりもします。そしてそのセリフは、実にその人らしさが表れてもいます。

考えてみたら、このアドリブのやり取りというのは、子どもたちがいつもやっているままごとやヒーローが登場する闘いごっこなどの「ごっこ遊び」そのものです。「ごっこ遊び」では、それぞれが何かの役になりきって、そのキャラクターに合ったセリフを瞬時に考えて表現します。まさしく「ごっこ遊び」は即興劇なのだと思います。そこにもまた、実にその子らしさが表われます。

ひるがえって、私たち大人のトモエでの日常生活を見てみると、そこには即興劇的は場面がかなり見られます。子どもたちとのやり取りで、その場面が楽しくなるように大人たちが即興で応じたり、大人同士の会話でも、こう切り出したら話は盛り上がるぞ!というひらめきでセリフが差し込まれ、それを受けて誰かが突っ込んだりぼけてみたりというやり取りがよくあります。それらもまた、その人らしい表現です。

このような即興的なやり取りというは、それぞれがリラックスしているときに生まれやすいし、逆にリラックスを生む効果もあるように感じます。そのように考えると、子どもたちの「ごっこ遊び」がメンバーのリラックス度と関係し、その遊びに入り込むことでリラックスを得られるということがあるのかもしれません。

日常の即興的なやり取りには筋書きがありませんが、そうであるからこそワクワクします。心地よさを感じることもあればマイナスの感情が生じることもあり、実にスリリングです。そのやり取りの中にいて、セリフの主の性格やその人が普段考えていることを感じるときもあります。またそのセリフがその場を盛り上げるためであったり、あるいは誰かを立てるためのものだと気づくときもあり、そんなときは心が温まります。またときには、そこから素敵なアイディアが生まれたり、何かの企画が持ち上がったりもします。

こうした即興的なやりとり、実は即興といってもそこにはその人の人柄や考えてきたことが反映されやすいのかもしれません。そういう意味では、私たち人間の生活は、各々が主人公の世界で、自分自身を演じていることで成り立っていると言えるのかもしれません。大げさに言えば、人生はまさに即興劇なのだ!