2023年度12月1月号

幸せは、自分で日々創造しているのです!

自分の人生も、自分自身の良心と対話しながら創造しているのですよね!

幸せになろうよ! 人間の素晴らしさを互いに発見し合い共鳴しながら・・・それがトモエ

 

思考のためのポイント

「自分が素直に表現できる生活環境を求めて・・・愛光、ばんけい、トモエ、現在も進化中」

 

園長は、自分に素直に対話しようと、心がけて生涯を過ごしてきました

自分に素直に対話しようとする行為は、自分の中に内在している「良心と会話」していることになりますよね・・・

良心は、心(・脳の海馬に記憶された知識・感情・意志)のバランス(・マイナス、プラス思考・良し悪し、等)をとる機能を持っていると確信して生きてきました

園長は、目に見えにくく日常感じづらい「命、魂、心、良心」について観察探究しています

それぞれの機能と関係性を考察し続けています

生涯考察し続けなければならない内容ですけどね

 

新年の教師研修、1月10日(水)では、「在園父母と、にじ組の人たち・卒園生も含む」に参加してほしいと願っています

特に「良心について」の体験を話し合いたいですね

 

毎日のトモエでの生活で、素直に自分を表現すると、乳幼児は受け止めてくれます

私自身は、乳幼児の目による会話から素直さを育てられているのです

乳幼児からは、人間の不思議と神秘を感じ、幸せですし生涯離れられない存在です

乳幼児から人間の素晴らしい世界を現在も感じさせていただいています

人間の未知なる世界、果てしなく広がる世界から無限の可能性を感じられて幸せです

現在も、人間の素晴らしさを感じて、人間が好きになる確率が上昇中です

85歳になり、より人間が好きになれる日々を感じられているから、日々押し寄せてくる多くの苦悩を受け止められているのでしょうね

他人事のような言い方ですね

だって、楽をしたい仁(自分の良心の語りかけ<真意>を裏切る)と、素直に表現したい(自分の良心<真意>を表現したい)がいる

仁の中に住む二人が、葛藤する時が多くあるのですから、生涯続くことは、予感できます

 

 

人間は、永遠に幸せを求め続ける人生を歩むことになります

永遠に幸せを求め続けられるなら、幸せや幸福感を、永遠に体験できるのですよね

一人でも多くの人と心が通い合う心地よい会話がしたくて、園長は愛光、ばんけい、トモエ、55年かけて創造し続けています

乳幼児のように、「素直に目でお互いにありのままを受け入れながらの会話」できるすばらしき人間を求め生涯を歩み続けた~~~~~~~~~い!

 

人間の未知なる世界、果てしなく広がる未来は、無限の可能性に満ちたすばらしき人間を発見できるのですよね

 

乳幼児から、人間には想像しえない「すばらしき人間の世界」を、「自分自身の魂と心に深く記憶」をしましょうよ

 

「自分の良心」は、「魂<人間の想像を超えた、神秘の世界>と良心との対話」によって「心と命と身体のバランスをとる」人に育て続けてくださるようです

 

以下に記載する文献は、2006年に「文部科学省・人権教育開発事業指定校 トモエ幼稚園の実践報告」をしたものの一部です

「人間の豊かな感性を養い、人間の尊厳を確立する基礎的人権教育の創造」

 

20数年前の中学3年生の国語の教科書・短編小説「素顔同盟」中学生にはキツイ話題!

人間には、仮面を完全に外した生活なんかあり得ません

人間の表現は、信頼関係の度合いに応じて表現は変化していますよね

人間自身の心を「現在の表現では、2~3割程度」、聞く側は10割で聞く場合が多い?

人間は、球体的な表現はできない!

園長は、牧師時代に毎日曜日に「神の愛・信仰・人間の愛・信頼等」の話をすることに自分自身限界を感じて、人生の先輩が気付いた逸話である「親<大人>の背を見て子<人生の後輩>は育つ」共に育ち会う生活環境を創造してきたのです

 

10年前より尚、生きづらい世界になってきましたね

人間の資質を自ら育てにくい生活環境になっています

自分と向き合う生活環境が失われてきました

自分の魂、良心、心と向き合うことが・・・

このままで、いいはずがない!

 

55年間、自分自身の良心との会話は、壮絶なものだった

生きている限り、この壮絶な良心との対話は続く!

しかし、人間の素晴らしい神秘の世界が体験できるのだから・・・

人間であることを、やめられない・・・

自分と人を信頼できる喜びがあるから・・・

 

 

<参考資料>

『素顔同盟』(すやまたけし) 中学3年・国語の教科書(教育出版)より

 

 その朝も目を覚ますと仮面をつけ、鏡に向かった。にせものの笑顔がそこにある。人工的すぎる、口もとだけでしか笑っていない。その他の部分は、目もほおも無表情ですらある。そしてなによりも、その無個性な笑顔はみんなと同じなのだ。人と同じであることは幸福なのだとみんなは言うが、ぼくはそれに息苦しさを感じている。

 鏡の中のぼくの顔は笑っている。みんなと同じ、昨日のぼくと同じ、そして明日と同じ笑顔なのだろう。しかし、仮面の下のぼくは泣いている。ぼくはぼくでありたい。ぼくはいろんな表情をもちたいと、叫んでいる。鏡の中の仮面はそれを隠している。

 学校へ向かうぼくはみんなと同じ笑顔をしている。黙々と人波が過ぎていく。彼らは仮面の下で、どんな顔をしているのだろう。ぼくのように、疑問や怒りを感じることはないのだろうか。

 

 授業中もそのことばかり考えていた。先生は社会を教えていた。

「……つまり、市民が仮面をつけだしたことによって、人と人との摩擦はすっかりなくなり、平穏な毎日を送れるようになった……。」

 先生は教壇の上で仮面に笑顔を浮かべ、熱弁をふるっている。確かに、怒った顔で授業をするより、このほうがいいのかもしれない。だが、いつも同じ笑顔の先生にもの足りなさを感じるのも事実だ。

「……この便利さを、一度手にしてからは、元に戻るわけにはいかなくなった。やがて、この仮面は法令化され、制度として確立されるようになった……。」

 ぼくは隣の友人の顔を見た。必死にノートをとっている彼の顔も笑顔だった。それと同じ笑顔が四十個(ぼくの笑顔も含めて)先生に向けられているのを、先生が同じ笑顔で受け止めている。どうもこっけいに思えるのだが、隣の友人は奇妙に思うことはないらしく、静かにノートに鉛筆を走らせている。

「……きみたちも現在、義務として仮面を着用しているわけだが、不便を感じたことがあっただろうか。考えてもみなさい。もし、きみたちが仮面をはずし、喜怒哀楽をそのまま表したりしたら……。この世は大混乱に陥るだろう。人は憎しみ合い、ののしり合い、争いが絶えなくなるだろう。いつもニコニコ、平和な世界、笑顔を絶やさず、明るい社会。仮面はわたしたちに真の平和と自由を与えてくれたのだ……。」

 ぼくは友人にきいてみた。

「先生の今の話、おかしいと思わない?」

「なぜ? 笑顔のおかげで、ぼくたちはけんかをしないですんでいるんだろ。」

 彼は笑顔で答えた。その仮面は実ににこやかに見えた。しかし、本当に仮面の下でもそう思っているのだろうか。ぼくだけが変な考えにとりつかれているのだろうか。

「……仮面をはずすという反社会的な行為が、人々に不安と恐れを与えるのは当然だ。そのような者を排除して、健全な社会を保とうとするのは……。」

「しかし、みんなの仮面の下に隠しているのが本当のぼくたちの姿じゃないのかな。」

「おい、そこ。さっきから、うるさいぞ。静かに!」と先生は笑顔でぼくに言った。

 

 ぼくはしょんぼりしながら、その日、一人で帰った。しかし、素顔とは関係なく、その時の仮面はいつもの笑顔のままだった。だから、だれもぼくの心の内を読むことはできなかっただろう。この仮面はある意味で便利かもしれないが、ぼくにはひどく味気ないものに感じられた。寂しい時は寂しい顔を、悲しい時は悲しい顔をしたかった。

 やがて、ぼくは街の東側を流れる川の公園のところまでやってきた。川の向こう側は自然保護区の森になっていた。秋になり、森は赤や黄の色彩にあふれていた。こちら側は川岸がコンクリートで固められ、公園になっている。川沿いのイチョウの木は等間隔に並んでいて、黄金色の落ち葉が歩道をうずめていた。

 ぼくはぼんやりと対岸の森林地帯を眺めた。そして振り返ると、高層ビルのぼくの街があった。この橋のない川を隔てて、あまりにも自然と人工物が対立しているのに、改めて驚いた。自然保護区は荒らされてはならない聖域だった。

 

 イチョウの木の陰に女の子がいた。ぼくと同じぐらいの年齢だろう。街から隠れるようにして、向こう岸を見ていた。ぼくは気づかれないように何本か離れたイチョウの木のそばで彼女を見守った。彼女の顔はみんなと同じ笑顔だった。ところが、彼女は次に、両手で仮面を覆うと、そっとそれをはずしたのだ。ぼくは思わず息を止めた。事の重大さに胸をどきどきさせながら周りを見回してみたが、だれもいなかった。

 彼女は素顔になると、遠くの森をもう一度見つめ直した。彼女の素顔は寂しそうで、悲しみさえたたえていた。そして、美しかった。

 ぼくは彼女のその行為が違法であることがわかっていながら、不思議ととがめる気持ちにもならなかったし、警察に通報しようとも思わなかった。彼女はぼくと同じ側にいる人間にちがいなかった。初めて同類に会えたのだ。

 

 その夜、ぼくはなかなか眠れなかった。なぜ、あの時、声をかけなかったのかと悔やんだ。ぼくは、仮面をはずした彼女と一緒にいるところを、だれかに見られるのを恐れたのだ。ぼくは自分の身が大事だったのだ。結局、勇気がなかったのだ。せっかく自分と同じ側にいる人間と出会えたのに、その機会を自分で逃がしてしまったのだ。

 夢の中に彼女が現れた。笑顔の仮面をはずすと、悲しい素顔が現れた。彼女はぼくを、遠くの方を見つめるようなまなざしで見た。ぼくに失望し、軽蔑しているようにも見えた。

 

 次の日、ぼくは再び公園に行ってみた。しかし、その場所に彼女はいなかった。

 ぼくはどうしてもあきらめきれなかった。学校はいつものとおりだったし、仮面に疑問をもつ者はいなかった。みんな、統一された変化のない笑いを浮かべていた。

 その後も東の公園に行くのがぼくの習慣になっていた。しかし、彼女に会うことはできなかった。もしかしたら、彼女は仮面をはずしているのを見つけられ、どこかに隔離されているのかもしれなかった。

 

 数週間が流れ、ぼくはいつものように公園の川岸にたたずみ、対岸の森を眺めていた。

 秋は確実に深くなっていた。そのころ、学校でうわさされていることがあった。素顔同盟という一団があり、彼らは仮面をはずし、社会や警察から逃れて、この川の上流の対岸の森の中で素顔で暮らしているということだった。

 川の水は冷たそうにゆっくりと流れていた。真っ赤に色づいたモミジの一群れが過ぎていった。その流れを見ていたぼくはふと妙なものを見つけた。

 仮面だった。笑顔の仮面が川に浮いているのだった。その顔は彼女の顔に似ていた。ぼくは木の枝を折り、その仮面を拾い上げた。それはまちがいなく彼女のだった。彼女はその川の上流で、仮面を捨てたのだ。

 ぼくはこの機会を逃がしたら二度と彼女と会えないだろうと思った。ぼくはためらいもなく、その川を上流に向かって歩きだした。

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 この「素顔同盟」は、高校1年の卒園生が「園長はこの文章を読んでどう思うか?」と持ってきてくれたものである。私は彼と長時間「素顔と仮面」について、私の体験を交えて話し合った。至福の時をすごした。

 その後、スタッフや父母と共に、この文章を題材にして学び合った。トモエの大人たちは、子どもたちの純粋な心と日々ふれ合い、素直に生きることを体験的に学んでいる。自分たちの歩みを再確認しつつ、自分の良心により誠実に生きることを学び続けているのが、トモエの仲間たちである。

 

<参考文献>

*『少年犯罪論』芹沢俊介(青弓社)

*『解体される子どもたち』芹沢俊介(青弓社)

*『学校過労死』三池輝久・友田明美(診断と治療社)

*『教育に強制はいらない』大沼安史(一光社)

*『続・教育には強制はいらない』P.モンゴメリー・大沼安史(一光社)