2022年度12月号

みなさん、お元気ですか?また病室からのお便りになりました。(静思の時Ⅱ)長時間体験してみたかったことが、病室で実現してしまいました。

ご心配をおかけして申し訳ございません。絶食3週間、この中から生まれた新しい世界をみなさんと分かち合いたいと思っています。ご期待ください。

12月中旬には、みなさんにお会いできると思います。再会を、とっても楽しみにしています!

 

病院の図書コーナーで見つけた『窓際のトットちゃん』黒柳徹子著

1981年初版本の「あとがき」(p267)よりの抜粋です。

 日本にも、沢山の、いい教育者の方は、いらっしゃると思います。みなさん、理想も愛情も、夢も、お持ちと思いますが、それを実際のものにするのが、どんなに難しいか、私にも、よくわかります。小林先生(注:トモエ学園の校長先生=創始者)にしても、このトモエ学園を始める前に、何年も何年も研究し、完全なものとして学校を始めたのが、昭和十二年、焼けたのが、二十年ですから、本当に短い期間でした。

 でも、私のいた頃が、先生にとって、最も情熱が強く、先生のやりたいことが花開いた瞬間だったようで、その点、幸福だと思っています。でも、戦争さえなければ、どんなにたくさんの生徒が、小林先生の手から世の中に出ていったか、と思うと、勿体ない、と、悲しい気持ちです。

小林先生の教育方針は、この本にも書きましたが、常に、

「どんな子も、生まれたときには、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、まわりの環境とか、大人たちの影響でスポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それをのばしていき、個性のある人間にしていこう」というものでした。

この本が出版された1981年は、私がばんけい幼稚園を創設した年でした。この本の中に、校長の小林宗作氏は、区立の小学校からの転向を希望してきた徹子さんの話を4時間聞き続けたことが描かれています。私は小林氏のこの姿勢に感動しました。同時に、小林氏の理念の中に私が目指していたものと相通ずるものを感じ、大きな力を得たことを憶えています。

 

以下は、トモエホームページからの関連項目の転載です。(byまさと)

〈トモエのルーツ〉

テレビでもおなじみのユニセフ親善大使でもある黒柳徹子さんの著書『窓際のトットちゃん』(講談社1981年)で、広く世に知られるようになった「トモエ学園」から名を付けさせてもらいました。

「トモエ学園」は、小林宗作氏が1937年に創立した私立自由が丘小学校と幼稚園です。大正デモクラシー期の「子ども中心」の考え方をすすめた教育の実践でした。1945年の空襲により、「トモエ学園」は炎上焼失してしまいました。(詳細は佐野和彦 著「小林宗作抄伝 : トットちゃんの先生 金子巴氏の話を中心に」話の特集1985年)

『窓際のトットちゃん』の本の中に、小林宗作氏の 教育方針について載っています。

「どんな子も、生まれたときには、いい性質を持っている。それが大きくなる間に、いろいろな、回りの環境とか、大人たちの影響で、スポイルされてしまう。だから、早く、この『いい性質』を見つけて、それを伸ばしていき、個性のある人間にしていこう」(p268)

「子どもを先生の計画に、はめるな。自然の中に放り出しておけ。先生の計画より子どもの夢のほうが、ずっと大きい」(p280)

また、『小林宗作抄伝』の中に、小林宗作氏の幼児教育に対する考え方がかかれています。

「・・・幼稚園の教育は必要である。最も必要である。人間生活の一生の中で、人間教育の凡ての時代の中でこれ程重大な問題はない。 ~略(幼稚園選びの親の責任について述べる)~ それが親としてのつくすべき最大急務であり最大義務である。子どもは最もよい教育を受ける権利を生得しているのである・・・」

 

〈「札幌トモエ幼稚園」の誕生〉

それまでの20年の実践が、まさに小林氏の考えに共通していることを感じた園長の木村 仁は、新しく創る環境には「トモエ」の名をつけようと決心しました。

それはまた、「先人の残してくれた大きな遺産を引き継ぎ、発展させよう」という決心でもありました。 そして木村は、『窓際のトットちゃん』を読んで「個性的な徹子さんへ最も強い影響を与えたであろう母親」である黒柳 朝さんに興味を持ち、当時の鎌倉の自宅を訪問し、じかにお話を伺いました。その感想は、「徹子さんのように個性的だ!」というものでした。 幼児期の子どもにとって、母親の存在は絶大です。その影響力に勝るものはありません。そのことはそれまでの実践で確信を得ていました。

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この『窓際のトットちゃん』は日本国内で、それまでの最高発行部数580万部以上を記録しています(2015年5月)。また、世界各国でも翻訳され全世界累計発行部数2371万部となっていて(2021年3月)、印税によって「社会福祉法人トット基金」がつくられ維持されています。

 

 

『人間、この未知なるもの』アレキシス・カレル著「まえがき」よりの抜粋です。

本書は、人間に関する現代の科学的知識及び科学的データのすべてをまとめてご覧いただき、読者の皆さんに考えていただきたいと思って書かれたものである。

 私たちは自分たちの文明の弱点に気づき始めた。多くの人々が、現代社会によって押しつけられた独断的なものの見方を振り払いたがっている。

 そこで、そういう人たちのために、そしてまた精神的、政治的、社会的変化の必要性を認めるだけでなく、工業文明をくつがえし、人間の進歩についての概念を新しくつくる必要があることを認めるだけの大胆さを持った人たちのために書かれたのである。

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以下は、この原稿を載せるにあたって園長と話して感じたまさとの注釈入りの感想です。

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初版本は、1935年にフランスで発行されました。園長が生まれる3年前です。

時は、第一次世界大戦が終わり世界恐慌も起こり、ドイツやイタリアでファシズムが台頭してきてフランスもそれに脅かされてきた時代でした。

このときすでに、カレルは文明の発達に含まれる弱点と社会が人びとに強いる独断的なものの見方に危機感を抱いていたのです。

そして人間の進歩について、それまでの概念から脱却して新しくつくっていかなければならないとしています。そしてそれには、大胆さが必要だとしています。

こうしたカレルの考えの背景には、上述の社会的な背景がありますが、それに加えて彼は、文明の豊かさを求めるがゆえに内面がおろそかになり、また固定観念にとらわれて古い概念にしがみついてしまう人間の弱点に気づいていたのでしょう。

トモエは子どもからお年寄りまで集い、互いに刺激し合い受け入れ合い、一人一人が自分を見つめ、自らの生き方、人生を創っていくための環境です。園長は、人間にとっては当たり前の環境だと言いますが、現代社会においては随分と大胆なもので(だからとても大変!)、カレルの言う「人間の進歩についての新しい概念をつくる必要を認められる」大胆な人(それを求める人、それになりつつある人)の集まりなのだと思えます。