・人体と命。その内に秘めた魂と良心と心の神秘の世界(思考のためのポイントのみ)
(自分自身の人生を生きるための最も重要な事柄)
・人生を左右する良心の神秘な世界。
・良心が忘れ去られつつある人間世界に思いをはせる。
人の存在の「主体」。個々ひとりひとり主体は違う。その主体は、生涯進化し続ける。
主体は魂、良心、心によって、生涯どのように育つかが・・・。
魂、良心、心のネットワークの神秘の世界に迫る。(情動のメカニズム観察)
広辞苑より(資料3)
たましい(魂)
- 動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離されても存在するとした。霊魂。精霊。たま。万一五「―はあしたゆふべに賜ふれど吾が胸痛し恋の繁きに」。宇津保嵯峨院「―や草むらごとに通ふらん野辺のまにまに鳴く声ぞする」
- 精神。気力。思慮分別。才略。蜻蛉上「かたちとても人にも似ず、こころ―もあるにもあらで」。大鏡師範「御舅達の―深く、非道に御弟をばひきこしまうさせ奉らせ給へるぞかし」
- 素質。天分。源絵合「筆取る道と碁打つことぞ、あやしう―のほど見ゆるを」
- 精進髷に同じ。
―尽く 命が絶える。死ぬ。字鏡集「死、タマシイツキヌ・シヌ・キユ・キエヌ・イヌ」―を入れ替える 心を改める。性根を入れかえる。柳樽二四「無理な意見は魂を入れ替えろ」
―を冷す 非常に驚きおそれる。肝を冷す。
(英訳)soul→人の意識・思考・感情・意思などの能力の源と考えられる無形の実態
しゅ-たい(主体)
- 帝王のからだ
- 元来は根底に在るもの、基本の意。㋑性質・状態・働きの主。赤を具有するところの赤いもの、歩く働きをなすところの歩くものの類。㋺主観と同意味で、認識し、行為し、評価する我を指すが、主観が主として主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性、実践性、身体性を強調するために、この訳語が用いられるに至った。↔客体。→主観。
- 団体や機械などの主要な部分。―せい(主体性)主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること。―てき(主体的)①ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま。能動的。②主観的に同じ。
(英訳)subject→主題、話題、テーマ、題材
りょう-しん(良心)
- 何が自分にとって善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識。―の-じゆう(良心の自由)自分の良心に反する信念や行動を強制されないこと。多くの国の憲法で保障されている。
(英訳)conscience
→良心、(善悪の)意識(*個人の良心をさすとき、修飾語を伴うときは a を伴う)
・Her conscience pricked her. 彼女は良心がとがめた
・I have a clear [or a good] conscience. 私は良心に恥じるところがない
・have a bad [or a guilty] conscience about … …について心にやましいことがある
・He had no conscience. 彼はどんな悪い事でもしかねなかった
・for conscience(') sake <副> 良心を満足させるために,気休めに
・have … on one's conscience …をやましく感じる, …に気がとがめる
・have the conscience to do (反語的に …するくらいの良心しかない
・in all conscience <副> ①良心的に ②確かに
・make … a matter of conscience …を良心的にやる[扱う]
・upon one's conscience <副> 良心にかけてきっと
・conscientious (形)
こころ(心)
(禽獣などの臓腑のすがたを見て、コル(凝)またはココルといったのが語源か。転じて、人間の内臓の通称となり、更に精神の意味に進んだ)
㋐人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。
- 知識・感情・意志の総体。「からだ」に対する。大鏡文徳「この帝、御―明らかに、よく人を知ろしめせり」。「―をこめて行う」
- 思慮。おもわく。源浮舟「―もなかりける夜のあやまちを思ふに」。「―を配る」
- 気持。心持。万一七「いつかも来むと待たすらむ―さぶしく」。「―が変る」
- 思いやり。なさけ。万一「雲だにも―あらなも隠さふべしや」。「―ない仕打ち」
- 情趣を解する感性。新古今秋「―なき身にもあはれは知られけり」
- 望み。こころざし。万三「結びてし言は果たさず思へりし―は遂げず」。「―にまかせぬ」
- 特別な考え。裏切り、あるいは晴れない心持。ふたごころ。万四「―あるごとな思ひわがせこ」。「―を晴らす」
㋑(比喩的に用いる)
- おもむき。風情。栄華つぼみ花「よろづみな―あるさまに見え」
- 事情。源夕顔「このあたりの―しれらむ者を召して問へ」
- 趣向。くふう。源苗木「まづ難き詩の―を思ひめぐらし」
- 意味。古今序「うたのさまを知り、ことの―をえたらん人は」
- わけ。なぞ解きの根拠。膝栗毛初「これを衣桁のふんどしと解きやす。その―はどうだ」
- (歌論用語)内容。歌の主題・題材・発想などをいう。古今序「―あまりてことば足らず」
㋒
- 心臓。胸。むなさき。浄、世継會我「―まで来る憂き涙」
- 物の中心。源洞壺「池の―広くしなして」
―合わざれば肝胆も楚越の如し [荘子徳充符「気が合わないと近親の者も疎遠な他人のよ
うである。」]
―内にあれば色外にあらわる [大学「心に思っていることがあると、隠そうとしても、
自然に顔色・行為などに現れる。」]
―に入る ①(「入る」あ自四)心に深くしむ。気に入る。②(「入る」は他下二)深く
心にとどめる。身を入れる。
―に鬼を作る ①いらぬ想像をして恐れる。保元「たばかつて陸にあげてぞ討たむずらむ
と心に鬼を作つて」②心中やましく思う。新撰六帖五「隠れ蓑うき名を隠すかたもなし―
身なれど」③邪険な心をおこす。「気を散らすな。
―に垣をせよ 心を堅く保って、むやみに他のことに
―に笠着て暮せ 上を見るな。足ることを知れ。
―の鬼が身を責める 良心の阿責をうける。
―を以て心に伝う 以心伝心に同じ。
―を許す 気を許す。油断する。万四「まそ鏡とぎし心をゆるしてば
(英訳)heart→心臓
2005・06年度 文部科学省 人権教育開発事業 報告書
主題 『人間の豊かな感性を養い、人間の尊厳を確立する基礎的人権教育の創造』
第3章 札幌トモエ幼稚園における基礎的人権教育の実践
第1節 生命・倫理体系の確立と自己認識を高める人間科学的実践 より
事例(4) ねえ、お母さん、人はどうして生きていかなければならないの?
親たちは、研修会での専門的な学びを基礎として、子どもたちを通して具体的に「人間」を学び、自己認識を高めている。乳幼児たちは日々の生活の中で、人間について考える素材を私たちにたくさん提供してくれるのである。
6歳男児と0歳女児の母親のレポートを紹介する。
「ねぇお母さん…。人はどうして、こうやって毎日生きていかなければならないんだろうネ…。」
ちょっと前の日曜日、昼下がりのたいくつなバラエティー番組をボーッと見ていた陽平が、つぶやくように問いかけてきました。
「?!」-内心かなりぎょっとしましたが、ここは母としてのあたたかいひと言を…と思い、しばし考えてから、「う~ん、お母さんの場合は、きっと陽平と亜希のお母さんをする為にかなぁ。」と、ニッコリしてみました。「キマったナ…」と思いながら。
それを聞いた陽平は、上目づかいに私を見つめ、やがて口元をニンマリと広げて「ホ~ントにい~?」と、何やら疑わし気です。
心の底の、また底を見透かされた気がして、さして用もないキッチンの方にそそくさと消えようとする私。人類の永遠の問題をぽろりと口にした当の彼は、もう鼻クソなどほじりながら、テレビに視線を戻していました。
息子が与えてくれる、このようなセンセーショナルなテーマは、たびたび私の睡眠時間を減らします。その日の夜遅くにも「私はいったい何の為に人生を歩むのか…」と、ひとしきり考えることになりました。
陽平に答えたこともウソではありません。でも、勿論そればかりではありません。
「人を愛する為」
「出会い、別れる為」
「何か大切なものを探す為」
「生まれてきたから、ただ、生きる」
「学び続ける為」
言葉の上では色々思いつきますが、どうもしっくりこない感じもします。今のところは、私の場合「今日を楽しむ為」というところでしょうか。
それはさて置き、陽平が私にそのような質問をしてきたことの背景に目を向けてみることにしました。彼の言葉が、全くの何かの受け売りでないならば(私は受け売りではないと思うのですが)、「生きていかなければならない」と表現した彼の毎日が、けっして楽しくおもしろおかしいことばかりではないことがうかがえます。
それは当然といえば当然なのですが、そこをもう少し考えてみると、色々なことが見えてきました。
子どもは、肉体的にも精神的にも、大人の何十倍ものすばらしい自然治癒力を持っています。ケガをしてもすぐ治ります。陽平も、自転車でひっくり返ってひどいケガをしたことがありますが、深かった傷あとはほどなく消えてしまいました。けれども、ケガをしたその時の痛み方は、見ている方までひりひりとしてくる程でした。早く治るから、たいしたことない傷だったということにはなりません。それは、精神的な傷にも同じことが言えると思います。
子どもはよくトラブルを起こしケンカをします。ワンワン泣いて、母親の元に戻る姿は、トモエでも日に何度も見かけます。けれども、そのほとんどは数分、よほどひどいものでも次の日になればケロリとしています。このケロリの早さがくせもので、私などはすぐ「あぁ、たいしたことなかったのネ」と思ってしまいがちです。でもきっと、肉体の傷と同じで、傷ついたその時は大人のそれと同じ様に、いや、きっとそれ以上に痛んでいるのでしょう。
午前中に仲良く遊んでいた子が、午後は虫の居所が悪く「もう遊ばない」なんて言われたりする。そんなことを毎日の様に経験しながらも、翌日にはタフにトモエに乗り込んでゆきます。親との間でもそれは同じで、あんなにきつく叱ったのに、もうケロリという姿は日常茶飯事。しかしこちらも血の通った人間なので、「すぐケロリとできる陽平ってタフですばらしい」なんて、その時には思えません。いったいどちらが子供なのか、判らなくなってしまいます。
と、こんな具合にとりとめもなく考えているうちに眠ってしまい、結論はおあずけ、というのがいつものパターンです。
翌朝目覚めると、子供たちは布団の中でもう起きていました。朝から元気よく体を動かしている妹の手に触れながら、兄は母に聞きました。
「お母さん、亜希は最初、ずーっと手をゲンコツの形に握っていたよね。あれはどうして?」
「う~ん…何を握りしめていたんだろう。でも、陽平もそうだったよ。」
「うん、ボクはね、お母さんのおなかにいた時からゲンコツの中にずっと持ってるものがあったんだよ。」
「え? ホント? 陽平は何持って生まれてきたの?」
「それはね…“キボウ”さ。」
「??!!」
希望の意味を知ってか知らずか、涼しい顔で言ってのけます。びっくりするやらおもしろいやらで、「亜希にはスゴイお兄ちゃんがいるねェー」と、妹の方の顔をのぞき込むと、彼女はまじめな表情で「クゥ~(空)…ムゥ~(無)」と、思索にふけっているではありませんか! やはり哲学者の血筋なのでしょうか?!(すぐ後に、ウンチをしていたと判明しましたが…。)
そんなこんなで、卒園のムードが漂い始めたこの季節、私の毎日は時に甘くせつなく、時に摩訶不思議に、とってもドラマチックに過ぎてゆくのでした。