2019年6月メッセージ

園長の女性論その1 序「女性が社会を癒す」(ポイントのみ)  (2005年創造の森2・3月号より)

 

下記の「女性が社会を癒す」のコピーは、私の精神医学の師であるポール・トウルニエ博士の著書「人生を変えるもの」の一部からの引用です。

博士との出会いがなかったなら、トモ工は存在しなかったでしよう。そのぐらい私の人間観を変えてくれた人であり、「人間の謎・神秘・不思議」を学ばせてもらった人です。

聖書の歴史から、紀元前と紀元後の人間の歩んだ道を学んでいた私でしたが、博士の精神医学、特に人格医学(人格的触れ合いを推進する医学)からは、人間の素晴らしい本質について考察する訓練を多くの文献によって身につけることができました。一度でいいから会いたかった人でした。

1 9 7 7年5月に札幌の天使女子短期大学で講演をされていました。女性論についても、博士の影響を多く受けてきた私です。

園長の女性論は、人間をより幅広くより深く総合的に考察するための原点になっています。私にとって、女性論は人間探求の原点なのです。

すべての人間は、母親から生まれているからです。

今回は、考察のために、ポイントだけにします。

私の母親・女性探求は、幼稚園園長になったことから始まります。乳幼児の素直な人格に触れ合うことで人間の豊かな感性をいつばい表現できる子ともたちに出会えたのです。その幼児の豊かな自己表現を受け止められない親が、私に見えてきたのです。幼児は、私と親の触れ合う感覚の違いに戸惑い、私の目を見て何かを訴えていました。

すぐにわかったことは、幼児の豊かな感性を育てようとするならば、「若い母親」に子どもを理解する感性を育ててもらわなければならないことに気づいたのです。親たちに自ら体験して身につけてもらうことにしました。

若いお母さんたちは、幼児期から親と教師に勉強を強制的に詰め込まれたため、大人になった現在、教えてもらうことを拒否しています。

私がとった行動は、母親実習制度でした。(・「人が好きになる子育て」一光社1 9 8 4年出版に詳しく記載されています)参観日ではなく、実習生と同じ子どもの観察記録をメモしてもらい、午後から子どもについて話し合いました。母親たちと話すことで、子ども理解が共有できるようになりました。母親は、子ども理解が深まることで、自己存在の尊さを認識してきました。同時に、すべての教室に子どもたちが出入りでき、親も子も親しい人間関係がもてるオープン・スペースを取り入れました。母親同士の交流が深まり、補い合い支え合う人間関係が始まり、母親自身、存在価値の認識が高まり、確信を特てるようにもなりました。母親の存在の重要性を認識し、確信が日々高まることで誇りを持てることにもつながっていきました。

 

ここで、チョッと考えてみて。

・すべての人間は、母親から生まれてきていることを。

・すべての人間は、母親とそれに準ずる人に「抱きしめられて育つ」ことを。

人はみな、心から抱きしめられ情緒が安定して大人となる。抱きしめられることが少なく育てられると、「心の病」となる。情緒不安定は、様々な依存症や自己を失うことになる。自分をコントロールできないで苦悩している人も増えてきている。

「解離性家族」とは、家族がお互いの人格・心・魂と触れ合う喜びを求められなくなっている人々のことです。「抱きしめて育てなおし」する指導を、多くの教育関係者が提言してきています。人は、自分を生んでくれたを母親を否定したくないのです。自分の母親を否定すると、自己存在の否定にもつながってしまうからなのです。

・母親は、胎児期の命の胎動を感じ、命を生み出す苦しみを体験し、乳幼児の命を肌で感じながら2 4時間一緒に過ごすのです。おしめを変え、授乳。抱きしめて、その命の存在の大きさに話しかけます。話しかけることで乳児は「自己存在を認識」するのです。語りかけが少ないと、存在感が薄くなります。母親に自分を肯定されずに育てられ、苦悩している人のなんと多いことか。

子どもたちは戦後から徐々に教育・しつけという愛情という名の心暴力を、多くの大人たちから受けてきました。子どもの人格を否定するような大人の言動が多くなってきていたと思いませんか。乳幼児の人格について、無視するような接し方をしている大人がなんと多くなっていることか。

 

男性は、母親の働きを代わることはできないのです。

ポール・ トゥルニエ博士が言うように、 長い歴史の中で 「女・子ども」 を一赭に軽蔑・警視し続けてきた結果、「解離性家族」 がうまれ、「心の故郷である家庭」「心が休める家庭」を失うことになりつつあります。

人の魂と触れ合い、心が震えるような体験は年に何度あるのでしょうか。 園長は、意識して日々求めて生きていても、怠惰になり自分がいやになることがしばしばあります。生きる意味を求めなくなることも時にはあります。 そんな時の「仁」は、自分と向き合うこともいやになり、映る自分の顔に「バーカ。 なに、 やってんだ。仁!」叱咤、激励することがよくあります。

母親の持つ特権は、何でしょうか。

 博士の文章を読んで、2月9日の「園長の話会」に参加してみませんか。

 きょうは、ここまでにします。   (2005年創造の森2・3月号より)

 

 

↓ クリックすると拡大します