2019年度12・1月メッセージ

「幸せを創造する原則・自分=(人間)を知り続ける生涯」

(自分を知り続けることで、心や感情のバランスがとれやすくなる。)

*幸せは、日々成長変化するもの。生涯無限大に広がるのです。求め続けよう!

 

{園長のつぶやき。毎月、“創造の森”の文を創るのに苦悩の日々を過ごしています。人間(自分)、人生、生きる意味などを活字で表現することは、不十分な表現しかできない。生涯苦悩し続けるしかないのかな}

 

『深く探求すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。

    人間の命が続く限り、常にそうだろうと私は思う』A・アインシュタイン。

 

*自分と向き合うことから、自分自身(=人間)の不思議と神秘を発見できるのです。

 「自分のことは、自分自身が一番わかっている。」そうでありたいですが?ほんとうだろうか?

 園長は、自分のことを知らないことが、いっぱいあります。「自分は何者なのか?生きる意味が分からなくて?」悩みながら、66年になりました。年を重ねるごとに、「自分を知る喜び」も体験しつつあります。

喜び・悲しみ・苦悩を少しでも分かち合い、補い合える生活環境を創りたくて、トモエを創っています。人間は、自分と多くの人と、どのように理解を深め続けられるか、人生の大きな永遠の課題・宿題なのでしょうね。人間は、神にはなれない動物なのですから、完璧な表現の言動などありえないのです。

人間は、すべての人が『発達が遅れている?未完成』なのです。未完成な人間を、お互いに認め合い、お互いの未来を信じ合って生きているから、夫婦があり子どもが生まれ家族を構成するのです。

その信頼の核となる夫婦の信頼や、親子の信頼関係が崩壊しています。信頼から生まれる喜びを、人間は、忘れかけているようにしか見えないのですが・・・人と心が結び合う喜びを、忘れかけている人間。

園長は思う。自分は、自分自身の物差しでしか、人を測れない悲しみがあるのです。相手の物差しは、どのようなものなのかを、理解したいと望み続けなければ、相手の理解を深められないものです。人は、人と理解が深められる行程で喜びが湧いてきます。人間理解の核となるのは、夫婦であり、親子であり、兄弟であり、親しい人との心が通い合う喜びが生きる力になるのでしょうね。

 

A・アインシュタインは、言う。

 「この諺は、真実である。人に対して、正しく賢明な助言をすることはできる。しかし、自分が正しく賢明にふるまうことは難しい。」

生涯、自分自身に賢明にふるまおうとして生きるのが、人間としての生き方なのでしょうね。

人に助言するように、自分自身に、賢明に助言をしようとしながら生きたいものですね。

自分自身の言動は、自分自身の心の表現であり、人を喜ばせたり時には、自分が意図していないのに人を悲しませたりして、生きているのが人間ですよね。乳幼児を見ていて毎日学ぶことは、自分の言動が、相手が喜んでいるのか悲しんでいるのかを、瞬時理解しながら生きていますよね。お母さんの目を見て判断する能力は、すごい!驚きです!

乳幼児は、言葉で十分表現できないゆえに、目が発達しているようです。

 

*人は、生後から自分と向き合って生きています。

 

赤ちゃんは、人の目をジーと長く見ますよね。なぜ、だと思いますか。

ジーと見つめられると、恥ずかしくなりません?男性だから?目をどこに向けていいのか、分からなくなる時がありませんか?園長は、よくありましたよ。70歳頃から、赤ちゃんの目を見て会話ができるようになりました。

人間の存在と生まれて来る意味。母親のお腹の中での、命の育みの神秘。

赤ちゃんが、目の前に現れる瞬間の驚き。私たち人間は、みなお腹の中での命の誕生と目の前に現れた一人の命の存在に、不思議と神秘に驚嘆されてきているのです。

思い出す言葉は、ポール・トゥルニエ博士の

「子どもは、大人から敬意を払われている度合いに応じて自分の人格を意識し、自分の人間としての尊厳を自覚して自分自身を尊重するようになります。」この意味は、自己肯定観の核となるものです。

ここで言う“敬意”とは、命の誕生と命の存在の神秘・不思議を言うのでは・・・

人間の命の誕生は、想像を超えた世界があるのです。

現代社会から、“乳幼児の命の敬意”が失われつつあることを、52年前に幼稚園園長になった時から危機を感じてきました。だから、トモエを創造し続けているのです。   昭和30年代から徐々に???

「消費が生活を豊かにする?」

「学力・学歴が、幸せな生活を創る?」

「利便性が、幸せのシンボル?」

等々、現在もこの流れは、人間が止められなくなっています。

『人間の存在の神秘の軽視!』に拍車がかかり続けています。乳幼児の命の神秘とその尊厳は、どこへいちゃったのか。「女・子ども」と軽視された文化は、長い歴史が作り上げたものかも。すべての人間は、母から生まれてきているのですから、敬意を払うのが当然なのですがね!

母から生まれた乳幼児は、母親の目を多く見て安定して育つのですがね!母親を周りの人たちが、どう寄り添い補えるかが、とても大切なことになります。どのような人間を世に送り出すかが、掛かっているのですから。母親の存在の偉大さを、大人たちが敬意をもって生活環境を具体的に整えなければ、人の心が失われてしまうのです。

2001年に出版された本「母子関係障害という“病気”(赤ちゃんの顔を見ない母親)」著者・長嶋章雄 ジャン・マリ・デラシュ(フランス母子協会総裁)取材による構成。

「母子関係障害という病気」は、文明国が作り出した病気です。自分と向き合う生き方を、母親と乳幼児から失わせることになった文明国は、家族間の信頼が何かがわからなくなってきていますよ。だから、園長は、必要以上に言い続けています。人類の危機なのですから・・・

2001年に出版されても、日本では、話題にもなりません。

裏表紙には、「母親の顔に喜びがあれば、赤ちゃんはそれを読み取る。不安があればそれを読み取る」とあった。赤ちゃん時代から、“ありのままを受け入れる能力”を人間は、生まれ持っているのです。

“ありのままを受け入れられる能力”を持って生まれてきている人間なのですから、その人間の能力を大人になってからも育てたいと望んで生きている園長です。辛いときなど、いやになることもありますけどね。ありのままを受け入れられる人生は、自分だけでなく人の人生も互いに幸せに感じる生き方ができるものですよね。

赤ちゃんは、寝返りができるまで、主に上を見て寝ています。自分の顔の前に現れる“目・心・感情”をよく見ます。なぜでしょうか。赤ちゃんは、体を自分自身で動かすことができない生後6ヶ月前後までは、目から感じとる割合が圧倒的です。ある眼科学会の資料では、五感の8割が目から感じとると言われています。

「目は、心の窓!」

「目は、口ほどにものを言う!」

目が合って、その人の感情が伝わってくるものですね。恋愛時代に、感じたことを思い返してみませんか。新婚時代を、思い浮かべてみませんか。好きな人から、見つめられると、心が熱くなりませんか。

言い過ぎ!ですか。

園長は、自分の感情を育てるために、時々81年間の人生で体験したドキドキ・ワクワク・ハラハラしたことを、大切に育てています。人間は、過去があり・現在があり・未来を日々歩んでいます。ですから、過去・現在の失言や失敗、軽視の目の悲しみ・苦悩・喜び・感動などなどを基盤として生かしながら、未来の幸せな人との心の交流の喜びを期待して日々を歩んでいます。

目から伝わってくる優しさや思いやりや信頼は、生きる喜びですよね。

生きる力の核となるのは、『信頼し合う喜び』でしょうね。

目が合って、スルーされると、悲しみの感情が湧いてきますよね。目が合わない。目を合わせてもらえないなど、信頼関係に大きな影響を与えている。

 

『目と信頼』について、次回にします。

幅広く、深く、思考してもらえるような内容を「母子関係障害という“病気”」の中から掲載します。