第18回「見守る」ということ

 先日、トモエまつりが開催されました。春からずっと、お母さんお父さんたちが準備を重ねてきて、当日はお天気にも恵まれ、文字通り清々しい集大成の日となったようでした。トモエまつりには、ふだんトモエに来れない卒園家族も多く参加してくれます。卒園生の子どもたちは、古巣に戻ってきて、なつかしい思い出に浸って戯れます。卒園母父たちは、まるで同窓会かのように、歓声を上げて再会を祝します。その光景をかいま見させてもらうことはいつも、スタッフとしてはとてもありがたく、心が温かくなるような気持ちにさせてもらえます。そんな中、もう一年も前の出来事となってしまいますが、忘れられない光景があります。

 

 まつりも終わり、後片付けと掃除の時間帯でした。出店会場となっていた体育コーナーが片付けられて、いつものようにマットが敷かれた遊び場が戻ってきました。そこに、体を動かしたくてウズウズしていた園児の男の子たちが、わらわらと集まってきました。そして、待ってましたと言わんばかりに、水を得た魚のように、たたかいごっこが始まりました。(まつりも楽しいけれど、子どもたちは日常をこよなく愛していますよね)私は、何だかその様子を見ていたくなって、ふと掃除の手を止めて、近くに腰かけました。

 

 初めのうちは、園児たちが、ランダムに体をぶつけ合っていました。まるで、縮こまった体をぐーんと背伸びをするかのように。軽いエクササイズのよう!準備運動みたいな。だんだんと熱が入ってきて、パワーも増していきます。ウオーミングアップ完了!そこに、ひとりの卒園生(小学校高学年男子)が現れました。明るくて楽しいオーラ全開の先輩の登場に、園児男子たちの目がキラキラ輝き出しました。「遊んでくれる人が来た!!」と。(子どもの、「遊んでくれる人発見」嗅覚は本当に鋭い!感心させられます)

 

 そこからは、園児たちがその男の子にたたかいを挑み続けました。男の子は強くて動きも早いので、余裕で相手をしてくれました。何といっても、園児たちの楽しそうなこと!それはまるで、活気みなぎるリングのようでした。そして、男の子の方はと言うと、これまた楽しそう。ずっと同じテンションで、次々と相手になってくれて頼もしいなあ、ホントに小学生?いや、むしろ大人にはできない芸当だな、と。それでも男の子は時折、ニヤニヤして見学している私の方を見て、「オレひとりでたくさん相手してんのさ~大変だよお~」といった表情で、私にアイコンタクトをとってくれていました。そのたびに私も、「わかってるよ~大丈夫大丈夫がんば~」という気持ちを込めて、やっぱりアイコンタクトで返していました。

 

 そんな中、ひとりの園児が泣き出しました。たたかいの最中に、どうやら男の子の腕が園児のおなかにヒットしてしまったみたい。男の子の方はというと、「え?おれ?いやいや当たっちゃっただけだよお~」とちょっぴり困って私に同意のプレゼン!(笑)私は、「うんうんわかってるよ、見てた見てた、君は別に悪くないよ、遊びの中でよくあることだから」と。(以上、全てアイコンタクトです)それでもちょっと分が悪くて(年齢差があるので見た目上、どうしてもね)結局、園児の泣き声を聞きつけてお母さんたちが駆けつけてくれたので、私も「遊んでいてね、たまたまね」と一応、彼の身の潔白を証明したのですが(笑)。でも、「だよね、大丈夫だ、治る治る!」とお母さんたちも園児を励ましてくれて、私の助言は必要なかったみたいでした。そのくらい、ふだんの周囲からの、その小学生の男の子への信頼は厚いことが良く伝わってきました。

 

その後、小学生の男の子は、たくさんの子を相手にしてくれてヘトヘトになっていたところを、ふたりの親友卒園生が、両側から肩を組んで連れ出してくれました。最後は、優しい友情シーンまで見ることができて、ほっこりしました。ちょっぴり照れた、優しくて最強なチャンピオンにあっぱれ!本当に温かで心が伝わり合っている、そんな午後のひとときでした。

 

 小学生の男の子は、そばで私が興味を持って見ていることにちゃんと気づいていて、もちろん私も、見たい気持ちを込めて、「見てるよビーム」を浴びせていました。だから男の子も、より安心して大勢の園児たちを相手に、思いっきりたたかいの相手をすることができたのかなあ、と思います。私は、「見守る」ってこういうことなんじゃないかな、と、その男の子から教えてもらったような気がしています。

 

ふだんからいっしょに生活したり過ごすことで、お互いの関係があった上で、気持ちを込めてそばに居る、ただそれだけで、こんなにもいろいろなことが伝わってきます。「見守ること」は、上から「監視する」ことでも、重い雰囲気の「その場の責任をとる」ことでもなくて。ましてや、気持ちの入っていない「傍観する」ことでないことは言うまでもありません。「見守る」ということは、もっと相対的で、「相手が居て自分も居る」関係性の中に存在するのだと思います。だってむしろ自分の方が、何かプレゼントをもらったような気がするくらいなのだから。見守り、見守られる日々。いつもたくさんの人と過ごすことができるトモエという環境は、そんな素敵な学びが詰まっていると、あらためて感じました。