3月17日(日)2018年度の「卒園の集い」が催されました。いわゆる卒園式ですが、儀式的な要素は幼い子どもたちにはあまり意味がないと考え、家族でリラックスして楽しめる雰囲気を持たせています。卒園といっても、決してお別れするわけではありません。いつでも来ることができるし、それがいつでも望まれている場なのですから。
毎日、自分の遊びに没頭していた子どもたち。だから毎日がハッピーだったかというと、そうではありません。たくさんの失敗や友だちとのトラブルなどに悩み、苦しい思いもたくさんしてきました。しかし、そんなときへこんだ心を抱きしめてくれる親をはじめ、たくさんの大人や仲間、先輩たちがいました。一瞬一瞬で感じたこと、考えたことを薄紙を一枚一枚重ねるように幾重にも折り重ね、心に奥行きと厚みを育んできました。
彼らが、自分自身を望む自分へと成長させてきた姿をずっと見てきました。彼らのその力を信じて待つことの大変さと、その過程はいわば自分自身を成長させることとリンクすることを知った日からの修行(笑)のような日々を重ねてきた親たちの姿をずっと見てきました。その誰もの姿が気高く美しくさえ感じてきました。その姿から、人間の素晴らしさを感じてきました。
そんな人たちとは、これからも一生を通じて付き合いが続くことを願わずにはいられません。